with rise 2022 SUMMER

自分らしさのある自然体のスタイルを提案するファッション企画や、夏の日差しに映えるメイクアップが登場。他にも、感謝を伝えるギフト選びや、清々しいグリーンをお家に取り入れるアイデアなど、初夏を心地よく楽しむための情報がたくさん。アクティブになるこの季節、二子玉川ライズ S.C.へ出かけてみませんか?


>> P.10

Localsonly.宇津原充地栄さん二子玉川と明大プール。松本かつぢ資料館館長お話を聞いたのはvol.04玉川4丁目の住宅街にたたずむ『松本かつぢ資料館』。松本かつぢは昭和の時代に活躍した叙情画家・少女漫画家で、マルチな才能を発揮し、人気を博した。なかでも連載漫画の「くるくるクルミちゃん」は少女漫画の先駆け的作品として多くのファンを楽しませた。資料館には今も、漫画家やイラストレーターを目指す若い人たちが訪れている。館長の宇津原充地栄さんはかつぢの三女。小さな頃は兵庫島の池で母の見守るなか水遊びをしたり、多摩川で魚とりをしたりする活発な女の子だった。「中学になると水泳に熱中しました。夏休みには、絵を描く父の前を『行ってきます』と通り過ぎながら明大プールに出かけていました」と思い出を語る。明大プールは今の二子玉川公園近辺にあった競技用プールで、元々は1925年に玉川電鉄が玉川プールとして開設したもの。長さ50メートル・幅25メートルの国際水泳連盟が公認する日本唯一のプールで、飛び込み台も備わっていた。全日本の水泳大会も開催され、〝水泳王国ニッポン〟を築く礎になったとも言われている。子ども用プールもあり、夏には水遊びに興じる子どもたちで賑わった。その後、明治大学が運営するようになり、名称も明大プールに。明大水泳部の学生だけでなく住民も利用できたので、宇津原さんもチケットを買って泳いでいた。「足が着かないほど水は深く、ちょっと怖かったので、最初はプールの縁から縁へ、短い距離を泳いでいました。夢中で練習し、やがて50メートルを泳げるようになりました」。高校時代は体操部に所属し、夏にはトレーニングの一環として週に1度ほど明大プールで泳いだ。「泳ぐのは好きでしたが、水泳の選手になりたいとか、大会に出たいとか、そういった願望はありませんでした。本当に無心で泳ぐだけ。それが楽しかった」。夕方、終業時間を知らせる鐘の音を合図にプールから出て、服に着替えると、目の前を流れる多摩川の土手にのぼった。自転車でチリンチリンと鈴を鳴らして売りに来るアイスキャンデーを買って、草の上に腰を下ろし、川の向こうに沈んでいく夕陽を眺めながら頬張った。今でも土手を散策するとき、「このあたりだったかしら」と懐かしく思い出すそう。川面に映るキラキラとまばゆい青春の1ページを。©世田谷区HP「写真が語る沿線」の世田谷区玉川地区編から転載今昔明大プールは二子玉川園遊園地と道を隔てた南側にあり、夏になるとたくさんの人で賑わいました。のちに東急自動車学校がここに移転し現在は世田谷区立二子玉川公園の一部として、子どもたちの遊び場になっています。SPECIALCOLUMN


<< | < | > | >>